アリスと奇妙な仲間たちの運営者プロフィール

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プロローグ…

私はずっと井の中の蛙でした。世界には息をのむような景色、空間、そしてワクワクやドキドキで満ちあふれています。しかし、そんな世界のことを知らず、自分の生きている世界が全てだと思っていました。

あなたは、毎日ワクワクを感じているでしょうか?

仕事のことを考えると、そんな気持ちにならない人が多いのではないでしょうか。偉そうなことは言えません。私自身もその一人です。

だから意識的に心がワクワクしてくるような動画を見て、気分を高揚させています。

プロフィールをご覧いただき、ありがとうございます。記事を書いている人間に興味を持っていただたことを、大変嬉しく思っております。

今現在は会社勤めということもあり、アリスという名前でブログを書いています。

サイト名の、アリスと奇妙な仲間たちの、アリスは「私」ですが、奇妙な仲間たちというのは「私の家族」のことです。ブログの記事の多くは私が書いていますが、妹と妻と叔母(看護師)が書いた記事が200記事ぐらいあります。

コンピュータが得意分野

私の唯一ともいえる得意分野はコンピュータ、IT関連です。詳しくは後で述べたいと思いますが、ソフトウェア開発者として15年以上の経験があります。プログラミングは大好きです。

コンピュータに初めて出会ったのは、中学生のときです。中学の入学祝でパソコンを母親がかってくれたのが全ての始まりかもしれません。ただ、その頃はほぼゲームのために使っていたといっても過言ではないです。家にインターネットが繋がっていなかったので、ゲームをするしかできませんでした。

スーパーファミコンなどの家庭用ゲーム機を買ってもらえなかったこともあり、暇があればソリティア(トランプゲーム)や、マインスイーパ、タイピングゲームばかりしていました。

タイピングゲームは、コンピュータに最初からインストールされていたMagic Flightというゲームです。当時コンピュータを持っていた人であれば、みんな知っているタイピングゲームですね。

母親と父親と看護師の叔母

コンピュータを買い与えてくれたのは母親という話をしましたが、母親は短大卒だったからか、色々と教育には力を入れてくれました。その代わり、ゲームは全く買ってくれませんでした。

そんな母親は、私にそろばんと英語を習わせました。そろばんは2級まで取得しましたが、英語は全くダメで、私のTOEICの点数は2018年現在200点台です。

父は母とは違い、子供の教育には本当に無関心でした。父は中学生の頃に、自身の父(私にとっては祖父)をバイク事故で亡くし、中卒で働きました。雇われではありましたが、一生懸命、家族を養ってくれたと思います。

ただ、土日祝日関係なしの工場勤務で、夜勤も多かったため、私の学校の行事にもほとんど顔を出したことがありません。そのせいか、小学校の高学年あたりからの、父との思い出がほとんどないのです…。

父は中卒で働き始めましたが、一家の大黒柱は父の母でした(私にとっては祖母)。

祖父はバイクで車にはねられて病院に運ばれましたが、病院についたときは包帯でグルグル巻きにされていたそうです。祖母は、相当つらい経験をしたと思います。

また、祖父の死亡保険は200万円ぐらい(今の600万円ぐらい)しかでなかったそうで、母親は子供を養うために女手一つで二人の子供を育てました。(本当は4人の子供がいたのですが、まだ幼い時に2人の子供を病気で亡くしています。)

当時は自賠責保険はありましたが、任意保険に加入している人はほとんどいなかった時代でした。また、支払われる保険金も少ない時代だったので、仕方ないとしかいいようがないと思います。

父の妹(私にとっては叔母)は、事故で父親を亡くしたことがきっかけとなり看護師となりました。本ブログでも、医療関係や、健康関連の記事の一部は叔母が執筆しています。

叔母は看護学校を首席で卒業したことや、最終的には看護師長を任され、その中でもリーダーとして病院全体の管理をしていた優秀な人です。

今は職業病で足腰を痛め現役を退きましたが、現役時代は休みの日でも看護本を手放さず、常に新しい知識を取り入れて勉強をしていた人で、記事の内容は確かなものです。

高校時代にコンピュータでしていたこと

私の話にもどりますが、高校時代にやっとパソコンがネットに繋がりました。当時は、光回線や無線環境はなく、ISDNという電話回線を使ってインターネットをするのが一般的でした。

また、今のように無制限にネットを使えるのが当たり前ではなかったため、月10時間という契約でインターネットを利用していました。10時間を超えた場合は、30秒毎に課金されていくような仕組みなので、検索して見たいサイトを開いたら、すぐにインターネットを切って、それからサイトに書いてある内容をじっくりと読むというような方法で、利用していました。正直、今では考えられないですね‥。

そんな時に、宮崎駿の千と千尋の神隠しが大ヒットしまして、映画館で見た私は感動してインターネットで色んなサイトに訪れていました。当時はブログというものはなかった時代で、サイトに掲示板を構築して、そこで多くの人がコミュニケーションを行っていました。

私自身も、とあるサイトで千と千尋の神隠しにはまっていた人達と仲良くなり、毎日のようにネット上で交流していました。

サイトの運営者が掲示板の他に、チャットルームも用意してくれて、みんなでチャットに集まる時間を決め、ジブリの話や、日常の話などいろんな話をしたのが懐かしいです。

チャットは基本的に常時インターネットに接続しながら行うものですが、10時間の制約のあった私はチャットルームで自分が書き込むときだけインターネットをつなげて、画面をリロードさせ、メッセージ送信後にまたすぐインターネットを切るというセコセコなやり方で、休みの日なんかは一晩中チャットしていた記憶があります。

この時点では、コンピュータを使うだけで、コンピュータで何かを作るということはしていませんでした。唯一、ペイント(Windows標準のソフト)で、千と千尋の神隠しのワンシーンの絵を描きました。下記の画像ですが、目力がありすぎますね・・・。

先ほど話した千と千尋の神隠しのサイトの運営している方へのプレゼントで作ったもので、制作期間は1週間でした。マウスだけを使って描いたこともあり、曲線を描くのに苦労しました。もちろん、ペイントの機能をフルに使いましたが、納得のいく曲線が描けるまで、何度も何度もやり直した記憶があります。

大学でプログラミングに出会う

コンピュータを使うのが好きだった私は、情報学部のある理系の大学に進学します。

当初は、千と千尋の神隠しで使われていたコンピュータグラフィックスを作りたくて情報学部を選びました。絵はかけなかったので、コンピュータを使ってジブリ映画に参加できないものかと考えていました。

しかし、期待とは違い大学ではコンピュータグラフィックスを専門に学ぶような授業はほとんどありませんでした。コンピュータ自体の仕組みを学んだり、プログラミングの授業が多かったです。

大学で初めてプログラミングという概念に出会ったのですが、当初ワケがわからず、初歩のところでつまずきました。そもそも、プログラミングに興味が持てなかったこともあり、大学2年生までは授業の宿題は人の作ったプログラムをコピーして提出していました。そんなことをしていたので、テストは散々で、プログラミングの単位は全て落としてしまいました。

プログラミングだけでなく、他の授業もかなりさぼっていました。サボって何をしていたかというと、ゲームや映画の鑑賞、そして友人とカラオケです。また、週3回ぐらいは、夜の6時から深夜の2時ぐらいまでバイトをしていました。

そういったひどい生活だったため、大学2年生の前期にとれた単位はたったの9単位でした。この時に、留年するかもと思って、本当に焦った覚えがあります。

家は裕福ではなかったことや、母親ががんを患っていたこともあり、少しでも楽をさせるため大学2年生の頃は仕送りをしてもらわず、バイトで稼いだお金で生活していた時もあります。しかし、さすがに留年したら元も子もないので、バイトを辞めて、本気で勉強に取り組み始めました。

平日は授業が終わってから学校のパソコンルームに行って、夜の9時ぐらいまでひたすらプログラミングの授業の課題に取り組みました。課題の内容は、例えば、プログラムでパックマンを作って動かしたりするようなものもあれば、データの並び替えや整列などのプログラムを様々なアルゴリズムで作ったりなど色々とありました。

土曜日も学校のパソコンルームでプログラミングをしていましたし、家でもプログラミングの勉強をしていたため、スキルが向上していくのが自分でもわかり楽しかったです。

努力したかいあって、ようやく大学3年生になる頃に周りに追いつくことができました。1年半以上周りから遅れていたので、相当大変でした。ここで得られた教訓は、プログラミングは人に教わってもできないということです。

分からなくても、自分の頭でひたすら考えることが大切です。効率は悪いのですが、とにかく自分の頭で考えた時間だけ成長します。

プログラミングができるようになってくると、どんどん面白くなってきて、のめり込むようにプログラミングの勉強に熱中するようになり、学校の図書館でもプログラミング関連の本を読み漁っていました。

ただ、自分で何かソフトウェアを作るということはしていませんでした。学校の宿題で与えられた課題をきっちりとこなしていぐらいです。

毎週7つぐらい課題があたえられ、すべてできた人向けに、追加の更に難しい課題もありましたが、全て自力でプログラミングをしていました。ただ、当時の私のレベルでは数時間でできるようなものはなく、全部をこなすのに3日ぐらいかかっていたと思います。

とにかく考えに考え抜いていました。そうしていると、ある瞬間に、どうすればプログラムで実現できるか閃くことがあります。そのときは、最高の気分になります。

1年、2年で落としたプログラミングの単位も取得する必要があり、再度同じ授業を受けていましたが、そちらでも課題があったので、ほぼ毎日プログラミングをしていた記憶があります。

大学4年生のときは、バーチャルリアリティー(VR)の研究室で加速度センサーという装置を使って、物体を触ったときの動きをプログラムでシミュレーションするような研究をしていました。

ソフトウェア開発会社に就職

パナソニックのソフトウェア子会社に内定をもらっていたのですが、京都に住みたかったからという理由で、京都のメーカー系のソフトウェア会社に就職します(200名ぐらいの小さな会社です)。今考えれば、浅はかな選択をしたと思います。

パナを選べば今頃200万円ぐらいは年収が高かったんじゃないかと思います。ただ、そうなると結婚相手も異なり、今の子供も生まれていなかったことになるので、これでよかったと思っています。

京都のソフトウェア会社では、他の会社から受注した仕事を行っていました。最初の2年間ぐらいは、1台2億円ぐらいする大型機械の制御プログラムの開発に携わっていました。

その後、部署異動でパナソニックの製品の開発にも携わりました。半年~1年ぐらい大阪の門真のパナソニック本社に出向して、開発していた時期もあります。結局パナソニックの仕事をしていたわけです。。

私の部署の上司はひどいパワハラ上司で、お客さんの前だろうと部下を叱責したりしていました。それを見ていた、パナの女性社員の方は、かなり心配して、大丈夫ですかと声をかけてくれたりもしました。パナには良い人がたくさんいて、うらやましいと思ったものです。

私の勤務していた会社は5つぐらい部署があって、三菱、シャープ、パナソニックなどの大手からソフトウェア開発の仕事を受注して、そのプログラム開発を行っていました。

防衛関連や、機器の組み込みプログラムやロボットの制御等のプログラムが多かったです。

就職した先の親会社は東証一部上場企業でしたが、その子会社であるソフトウェア開発会社(私が入社した会社)は、正直ブラック企業でした。特に私が配属されていた部署はひどかったです。

私の所属していた部署の上司は、パワハラがすごいというレベルを超えていました。私の同期は毎日のように、上司の前で1時間以上たちっぱなしの状態にさせられて説教され、叱責されていました。その怒り方も異常でした。10人ぐらいの部下がいましたが、ほとんどが恐れて、何も言い返すことはできませんでした。

私は入社3年目に部署異動で、その部署に配属されましたが、入社1年目からその部署に配属されていた同期は3年耐えた後、ぱったりと会社に来なくなりやめました。ウツでした。

私自身も数々の嫌な思い、理不尽な叱責をされました。また、怒られている最中は仕事も全く進まないので、残業もひどかったです。さらに、残業した時間もほとんどつけることができませんでした。一番ひどいときで月100時間近いサービス残業をしたこともあります。

最後は、私自身も会社に通うことができなくなり、4カ月休職しました。復帰することもできなかったので、転職活動をして転職しました。

転職先は自社製品を持っている会社で、その製品のプログラム開発に携わりました。転職して思ったのは自社でモノを作っている会社は強いということです。

前職では、自社製品がなく、プログラミングという技術を売っている会社だったので、人件費が全てでした。人件費分の売上しかないので、利益には限界があります。もし自社製品があれば、売れるほど利益があがりますが、ソフトの場合は人件費分の売上げ以上に増えません。

もし、想定よりも工数がかかってしまうと、利益ががくんと減ってしまったり、最悪赤字に陥る場合もあるので、残業をつけてはいけないという無言の圧力がかかっていました。

転職先が東証一部上場企業だったこともありコンプライアンスはしっかりしており、残業した分はちゃんと付けてよくなりました。

また、前職のように、時間を少しでも減らさないといけないということがなくなり、就業時間中にプログラミングの勉強も自由にできるようになり、パワハラというストレスからも解放されました。

時間について細かくいわれたり、日報を書く必要もなくなりました。自社製品ということもあり、納期もそこまで厳しくはなかったため、腰を据えて仕事に取り組むことでき、良いプログラムを作ることができるようになりました。そのおかげで、自身の技術力も格段に向上しました。

私自身はプログラミングはクリエィティブな仕事だと思っているのですが、クリエィティブな仕事は、せかされると絶対に良いものはできないと思います。前職ではとにかくせかされていましたし、会社では勉強する時間もとることができず、家でするしかありませんでした。

日々の仕事も嫌々やっていたため、全く上達しませんでした。

この経験から、楽しんでプログラミングすることが本当に大事だということが分かりました。楽しむことができれば、必ず技術力は向上します。

最後に、私の夢について

最後まで読んでいただきありがとうございます。

現在、サラリーマンとして日々働いていますが、転職が成功したとはいえ、雇われている身であるのは変わりありません。

30代も後半になれば、最終的に自分が就くことができるポジションが予想できます。上は詰まっており、昇格するのはとても難しいのが現実です。そして何より、今の自分は朝起きたときに、ワクワクしていません。自分が本当にしたいことをしなければ、ワクワクするような毎日を過ごすことは難しいと思っています。

少なくとも私の場合は、今の仕事を今後ずっと続けたとしても、ワクワクすることはないと思います。

起業といっても、プログラミングという技術だけでいえば、私なんかよりも優れた人間は沢山いるので、プログラミングで起業することは考えていません。プログラミングで得た経験や、仕事で得た知識をもとにブログで情報を発信して、それを収益にできないかを模索中です。

2020年にはプログラミングが必須化されますが、自分が現場で学んだことを、子供たちに教えることができるのではないかとも考えています。

また、これからの時代はますます娯楽が発達すると思います。これまでもそうでしたが、これからの時代は益々その傾向が強くなると予想しています。

人を楽しませることができる人が多くの収入を得られる時代なのかなと思います。

Youtubeなどで海外の動画を見ると、わくわくしてくるような動画が沢山上がっています。

日本は大人が楽しんでいない。日々まじめに仕事して、会社と家の往復が全て、仕事が全て、遊びも中途半端で心が躍るような生活をしていないと感じます。

そして、子供にもこれをしたらダメ、あれをしたらダメ。としてはいけないことばかり教えて、強要させています。

会社もしかりです。様々な規制やルールを設けて、社員を不自由にさせます。その結果、多くの人がクリエィティブな思考ができなくなっています。

世界には子供の頃の自由な発想を、大人になっても持ち続け、それを実現させている人が沢山います。最初に紹介した動画をみていただければ、それがわかります。

動画を見て、わくわくしてきませんか?動画に出てくる人たちは、人生を楽しんでいて、本当に生き生きとして見えます。少なくとも嫌々している人は一人もいません。

動画中にでてくる遊びはお金をかけないとできないことや、体を鍛えないとできないことが大半を占めてますが、アイディア次第でいろんなことができると思います。

自分の心が躍るようなことをして更に周りも楽しませることができれば、最高に幸せだと思います。それを動画にしてYoutubeやブログにアップし続ければ、収入も得られます。

私には夢があります。

いつか大人が心から遊べる施設を日本に作りたいと考えています。その施設を作るためにお金が必要なので、起業して稼ぎたいと思っています。

日本は子供が遊べる施設はあるのですが、大人が遊べる施設は海外に比べてかなり少ないと思います。今の日本で必要なのは、大人が楽しむことです。

大人がわくわくするような毎日を送れば、子供にも伝搬します。大人が死んだような目で、日々の生活を送っていれば、子供も未来に希望をもてなくなります。

だからこそ、大人が楽しめる施設、空間を作りたいと思っています。例えば、大人のための滑り台、大人のためのブランコ、大人のための鬼ごっこ。子供時代に、無我夢中で楽しんだ遊びを大人向けにカスタマイズして、大人が楽しめる遊び場を作りたいと思っています。

世界ではすでにそういった施設があるのですが、日本はまだまだ少ないです。

子供時代にアルプスの少女ハイジが乗っているブランコに乗りたいと思ったことがある人はいいませんか?また、絵本の中にでてくる世界に憧れたことはないでしょうか。空の上から長い長い滑り台にのって地上まで滑ったり、雲に乗ったり、空を飛んだり。

誰しもが空想の世界に憧れたことがあると思います。

子供の時のあのわくわくするような気持ちを大人が思い出せば、きっと日本はもっと元気になると思います。そのために、ワクワクするような遊びが体験できる場所を作りたいです。

笑うことができる動物は、人間だけです。人生において笑うことはとても大切です。一人でも多くの人を笑顔にするために、活動を続けていきたいと思っています。

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