こんにちは、アリスです。
ビールの美味しい季節といえば夏ですね。最近では発泡酒や第3のビールに押され気味のビールですが、過去にはとてつもないビールブームもあったのです。
そして各会社のビールのブランドといえば、キリンの一番搾り、アサヒのスーパードライ、サントリーのプレミアムモルツ、サッポロのエビスが有名ですね。
今回は、そんな日本のビールをについて語ってみたいと思います。
単なる歴史だけでなく、各ビール会社の売上増加のための奇抜な戦略なども、紹介しますので、ぜひ最後までお付き合いください。
日本で最初のビール
日本で最初のビール工場はアメリカ人醸造技師によって明治3年に横浜に建てられたものと言われています。しかしこれは市販用のビール工場では無かったようです。
明治9年、札幌にビール工場が建てられ翌10年に「札幌ビール」の出荷が始まります。ご存知「サッポロビール」の原点です。明治3年~9年の間、何社かのビール工場が出来ては無くなり、、、の歴史でした。
明治20年、東京に「日本麦酒」の工場が建てられビールの販売が始まりました。
同じ年に大阪に「大阪麦酒」が誕生します。この年、ビールの販売は爆発的に増え前年の3倍を記録しました。
キリン、アサヒ、サッポロのブランド競争
明治21年にジャパンブリュワリー社が創業「キリンビール」の販売が始まりました。
これ以降、ビールにブランド名が付いてゆきます。
日本麦酒は「ヱビスビール」を販売、大阪麦酒は「アサヒビール」とそれぞれブランド戦略が始まったのです。
この時代、ビール大瓶1本14銭でした。白米10Kgが67銭だったのを見ると、やはりぜいたくひんだったのです。
これで、現在でも有力なアサヒ、サッポロ、キリンの原点が出揃ったように思えますが事はそう簡単には運びません。
明治39年になると札幌麦酒・大阪麦酒・日本麦酒がの三社が合併し「大日本麦酒」が誕生。シェア72%の巨大ビール会社が誕生したのです。
キリン麦酒は業界第二位でシェアは20%程度でした。3社が合併したのですからこのシェアの差は無理も無いですね。
大正、昭和初期~第二次世界大戦の敗戦を経て巨大企業の解体・分割が始まったのでした。製紙、製鉄と並び、その対象となったのがビール会社だったのです。
明治の後期に合併で出来た「大日本麦酒」は東西に二分割され「日本麦酒」と「朝日麦酒」となったのでした。これで再び「アサヒ」「キリン」「サッポロ(ヱビス)」の3大ビールブランドメーカーが再スタートを切ったわけです。
その際、永年後塵を拝してきたキリンビールは驚くべき手法を使いシェアを伸ばしました。そのやり方とは・・・
キリンビールの驚くべき戦略
社員を居酒屋、バーなどアルコールを提供する店に飲みに行かせるのですが、ターゲットはキリンビールを置いていない店でした。
その店に入ってキリンビールを注文するも、もとより無いのは先刻承知の上。店が「そのビールは置いてません」というと「この店は、キリンビールも置いていないのかっ!」と半ばオドシ口調で店を責めるのです。
そのような手口で波状攻撃をされたら店としてもキリンビールを置かざるを得なくなるというカラクリです。
モチロン店はまんまとワナに掛かってしまった事を知る由もありません。と言う訳で当時キリンビールの営業の仕事は夜に飲んで回りキリンビールを広めるのが仕事だったのでした。たまに飲みに行くのはいいけど、毎晩ともなるとさぞかし体をこわす人もいた事でしょうね。
ただ、昔だったから通用した手法で、今の時代にそんなことをすれば、社会問題になりますね。
と言う訳で、その努力の甲斐?あって昭和29年にはトップシェアに踊り出たわけです。
その当時のビール大瓶1本は125円。それがなんと、現在は300円を超えています。ビールは本当に値上りしました。値上り原因は大半は税金です。
中小ビール会社の参入と集約
その後、多くの中小ビール業界参入があったものの残っているのは地ビールを除いて元々あったメーカー+サントリーに集約されてしまいました。
昭和32年に宝酒造が「タカラビール」を発売 (昭和42年に撤退)
昭和34年アメリカ統治下の沖縄で「オリオンビール」が販売開始。(後にアサヒビールの傘下に入る。)
昭和38年サントリーが 「サントリービール」で参入。
昭和46年サッポロビールが「ヱビスビール」ブランドを復活。その年に、アサヒビールが初のアルミ缶を販売。ビールを更に身近に、手軽に飲めるようになった画期的な出来事でした。
昭和61年には宝酒造が低アルコールビール「バービカン」を発売。後の2009年発売のアルコール0%の画期的なビアテイスト飲料「キリンFREE」の先駆けとなりました。
昭和62年アサヒビールが「スーパードライ」の販売を開始。これは後のビール業界台風の目となるブランドの誕生でした。
平成元年 昭和20年代に既に作られていた「発泡酒」が税金の安さから注目され始め、開発競争が始まりまふ。高みの見物を決め込んでいたキリン、アサヒも後に発泡酒に参入します。
スーパードライ、プレモルの誕生
そして平成22年、昭和29年以来守ってきたキリンビールのトップシェアをアサヒビールに奪われます。お察しの通りて「スーパードライ」がその牙城を崩したのです。これは「スーパードライの奇跡」とまで言われています。
一方、昭和38年にビールに参入して以来、赤字続きだった「サントリービール」でしたが、45年目の平成20年に始めて黒字化したのです。そうです、プレミアムモルツです。
苦節半世紀、サントリーの「先ずはやってみなはれ」精神を見事に象徴している出来事でした。
サントリーは「プレミアムモルツ」が日本メーカー初のモンドセレクションビール部門で金賞を受賞し、快進撃に弾みが付きました。
遂には、サッポロビールのシェアを超えたばかりでなく、キリンをも抜いて業界シェア2位となったのでした。万年4位の赤字 大きく花開いたわけです。
キリンビールはかつて牙城と云われたトップシェアを守りに徹したために前向きの対策が打てずジリジリと後退。
ついには酒類の売り上げをもサントリーにはるか及ばない状況に陥ってしまいました。追う方と追われる方。追う方が必死になりますね。のんびりしているといつの間にか取り返しが付かなくなった悪例と言えるでしょう。
これからもビール業界は熱い戦いが続いてゆくのでしょう。これはどの業界・人も同じ。食うか食われるかの弱肉強食なのです。食いっぱぐれれば食い扶持は減ってしまう、、、厳しい世界です。
ややこしい話はさて置いてビールはやっぱしキンキンに冷えたほうがいいですね〜。アルコールがダメな人もノンアルビールでどないですか?