与沢翼と元HSBC社長の立沢賢一の対談動画が面白すぎる。住友銀行、メリルリンチ、バンクオブアメリカでの仕事経験談

こんにちは、アリスです。

与沢翼と元HSBC社長の立沢賢一の対談動画が公開されました。

ジモン氏との対談に続き、またしても超がつくビッグな人物です。

この対談動画面白すぎるので、本当に見たほうが良いです。めちゃくちゃ勉強になりました。

動画の冒頭に、与沢翼が立沢さんをべた褒めするシーンがあります。

そんなにハードルを上げて大丈夫?と思いましたが、その高くなったハードルを軽々と超える面白さでした。

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住友銀行に新卒入社

立沢賢一は、昭和60年に住友銀行に新卒で入社。

当時、住友銀行は鬼のように厳しいといわれていました。さすが大阪・・なにわ。

住友銀行は大阪が地元で、関西人には最もなじみのある銀行だと思います。

住友銀行は、2001年(平成13年)に三井グループのさくら銀行と合併して三井住友銀行になりましたね。

風邪ひいちゃいけない、咳をしたら怒られる。というすさまじい環境で、朝の7時から夜中の12時まで死ぬほど働かされたとのことです。

当時は、預金額で優劣を測った時代のようで、6月と12月に大きなノルマがあり、立沢さんは個人定期23億円を集めて住友銀行内で全国3位になりました。

ちなみに、預金額が最も多かった銀行は第一勧業銀行という銀行のようです。

立沢さんは成果をだしていたので支店長からタツと呼ばれていました。しかし、成果をだしていない人は名前で呼んでもらえず、貴様と呼ばれていたとのことです。

現代社会ではありえないことですが、当時は支店長は社内では天皇というすごい時代だったのです。

下記がYoutubeに公開された対談動画です。いつまで公開されているかわかりません。

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学生時代にカリフォルニア大学に留学

立沢賢一さんは、元々大学生の時に奨学金留学生として、アメリカのカリフォルニア大学に1年滞在していたようです。

ここでのエピソードがまた面白すぎます。

立沢さんは、6カ月英語を短期集中で勉強して、留学しました。

しかし、6カ月程度の勉強では現地で全く通用せず、授業も理解できませんでした。

そこで、テープに録音して、何度も何度も聞いて復習していたようです。

しかし、それでも点数が足りなかったようで、教授に「なんとか、点数を高くつけてもらえないか」と交渉したようです。

しかし、教授からは「英語ができないのはあなたの問題だから関係ない。私は平等に扱う」と一蹴されました。

ここで、世界の厳しさを知ったようです。

若い学生時代に、これだけ厳しい経験をしたことが、以後の立沢賢一を作ったのではないかとも思えました。

私も英語を習得するために勉強を始めました。まずはTOEICから始めましょう。

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家庭環境

立沢賢一さんの両親は、横浜銀行の銀行員で、職場結婚のようです。

附属校から大学に入ったとのことで、大学受験は経験していないとのことでした。

勉強が好きだったんですかという与沢翼の質問に、「勉強は嫌い」とはっきりと答えました。

生きるためにやらざるを得なかったから、やったとのことです。

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25歳でイギリスのロンドンに転勤になる

当時ピザがなかなか発行されなくて、1年も待つことになったみたいです。

ロンドンでは月20、30万の家賃補助がでたようです。すごいですね。

そしてイギリスでの初日、「まず君は英語を直そう」と言われたみたいです。アメリカ英語とイギリス英語はやはり違うようで、立沢さんの英語はアメリカ英語だったみたいです。

ロンドンでは、事務、オペレーション、経理、コンプライアンス、リスクマネジメント、そして最後に債権のトレーダーとなりました。

ひたすらいろいろなことを経験したことで下地ができ、トレーダーになってからは、すぐに稼げるようになったようです。

アメリカのメリルリンチに転職

メリルさんとリンチさんが株のブローカーで始めた証券会社です。

立沢さんは、住友銀行時代に外債のトレーディングをしていたことで、外資のメリルリンチから働きませんか?というオファーがきました。

立沢賢一さんは、メリルリンチに転職してから、いたるところで同僚から「よかったな、アップグレードして。やっと三流から一流になれたな」と言われたようです。

日本で一流企業とみなされている住友銀行です。

しかし当時は住友ですら、外資から商品を買っているにすぎず、外資にとれば所詮お客様の一人だったわけです。それが外資の人間から三流と思われていたゆえんです。

これまたすごいことですが、メリルリンチからは好きな拠点で、好きな業務をやっていいよといわれた立沢さん。

立沢賢一さんは東京の拠点で営業として働くことを決めたようです。

東京では法人に対して、日本の法人が運用する資産を外資系の金融機関が供給するためのつなぎ役として営業を行いました。

そして、入ってから3年後の31歳には最年少のマネージングダイレクターという称号を得ました。

31歳という若さで、どうやったら、こんなに活躍できるのか・・。

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外資系と国内企業の違い

立沢賢一さんの話では、「外資は無から有を作らなければならない。」

例えばノルマとして50億稼げと言われたときに、与えられたものだけを売っても稼げない。

どういう商品を作ればよいか、どういう顧客を狙っていくべきか、差別化を徹底的に自分で考えて創造しなければならない。そのために必要なリソースは交渉して集める。

それが外資です。

ところで、外資は儲かった利益の分配率が違うようです。

トヨタの社長の年収は3億5千万ですが、GMの社長は20億のようです。

立沢賢一さんの話では、外資が分配しすぎているのではなくて、日本が分配しなさすぎのようです。

なぜ外資の給料が高いのか??

もし、会社の意思決定をする人がたいしてお金をもっておらず、ローンがもしあったら、重要な意思決定に違ったエネルギーが働いてしまう。家族を路頭に迷わすわけにいかないためです。

そのため、あえていっぱいお金を渡したほうが、良い判断ができるとのことからです。

もちろん、企業の存続のためには内部留保は最も重要なので、いちがいに給料が高ければいいというものでもないです。

ただ、この方法でアメリカの企業が世界のトップ企業に君臨しているのは事実です。

バンクオブアメリカにヘッドハンティング

立沢賢一さんのメリルリンチでの活躍がヘッドハンターの目に止まり、ヘッドハンティングでバンクオブアメリカにひきぬかれました。

営業とトレーディングのマーケット部門のトップとして、マーケット業務すべてを統括する職務を与えられました。

しかも、グローバルマーケッツグループといってビジネスの意思決定をしていくメンバーの一人にも選ばれたというすごさです。

ちなみに、当時の立沢賢一さんの給料はわかりませんが、バンクオブアメリカの社長は100億の給料だったようです。

リーマンショック前の、相当儲かっていた時代の話です。

しかし、バンクオブアメリカを39歳で自主退職しました。30代での引退にあこがれていたみたいです。

その後、2年間オーストラリアで自分の事業を立ち上げて仕事をしていたとのことです。

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HSBCの社長に

オーストラリアの事業がうまくいったのかどうかはわかりませんが、もう一度優秀な仲間と働きたいと思い始めた時期に、HSBCから声がかかったようです。

「HSBCの債券部門のトップをやってくれないか」という話です。

そこで実績を出し、マーケット部門のヘッドと社長の兼務をするにまでいたりました。

立沢さんが社長になった当時は2005年で、HSBCはまだ現在ほど稼いではなかったみたいですが、すごいことです。

最後に

動画内で立沢賢一さんが、石原元東京都知事の「豊洲移転はみんなで決めたこと」という発言のことをホットな話題として話しました。

石原元東京都知事の上記発言は2017年3月3日です。与沢翼と立沢賢一さんの対談動画が公開されたのは2017年10月2日です。つまり、半年ほどのずれがあります。

2017年3月は与沢翼本人のスクールもあったはずなので忙しかったと思います。それで、後回しになった可能性もあります。

立沢賢一さんの動画の最終話には、新たなスクール募集があると思いますが、動画撮影後に教材の作成を始めたため、半年のずれがでた可能性が高いです。

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