麻原含む7人の死刑にサインした上川陽子法相は神なのか死神なのか

オウム真理教の教祖である麻原の死刑が7月6日執行されました。そして、オウム真理教が犯した主要な事件に大きく関与した幹部6人も同じ日に死刑を執行されました。

死刑の執行の最終許可は法務大臣が出します。地下鉄サリン事件で死刑が確定した幹部たち。23年たった今、なぜ死刑が執行されたのでしょうか。

平成から元号が変わることも少なからず影響しているという話もあります。恩赦があるからです。死刑囚については、刑がかるくなるということはありませんが、死刑が執行されなくなるという恩赦のようなものがでてくる可能性がありました。今回死刑を執行された幹部の中には、逮捕されてからずっと後悔をし続けてきた人もいるからです。

ただし、ひたすら毎日祈り、後悔してきたとしても、その人がやってしまった罪の事実は消えません。一度決まってしまった死刑の判決が覆されることもありません。ただ、死刑が執行されにくくなる場合もあり、それがあるとすれば元号が変わるタイミングの恩赦だけです。

私自身の考えを述べると、この23年間ずっと、自身が犯した罪を後悔し、日々とってきた態度次第では、死刑は執行すべきではないと思っています。今回の死刑については、麻原彰晃は仕方ないとしても、他の6名の死刑を同時に執行したことには全く賛成はできませんでした。

私は死刑制度は廃止すべきだと思っています。理由は後述します。日本では死刑に賛成している人は多いですから、このような意見を言えば、叩かれることになるかもしれませんね。

スポンサーリンク

世界的には死刑は廃止の流れ

世界的には死刑はすべきではないという運動が広がっています。むしろ、死刑を容認している国は少数派ということは理解しておくべきだと思います。

特にEUヨーロッパ連合に加盟している国には死刑制度はありません。死刑制度がある国は、EUに加入することができないからです。また、米国の一部の州でも、死刑制度は廃止されています。

なぜでしょうか?

一つは人権的観点です。「いかなる罪を犯したとしても、すべての人間には生来尊厳が備わっており、その人格は不可侵である。人権の尊重は、犯罪者を含めあらゆる人に当てはまる」というのがEUの考え方です。

そして、二つめは不可逆性という重大な問題を抱えているからです。いかに高い地位、名誉があっても、間違うことがあるのが人間です。例えば、検察官や裁判官、陪審が間違いを犯さないとは言いきれません。しかし、死刑は一度執行されてしまえば取り返しがつきません。取り返しのつかない間違いを防ぐには「死刑を廃止する」ことが最も確実だからです。

ただし、EUでもこの問題は一筋縄で解決したわけではありません。イギリスなどでは死刑制度の廃止に反対していた人は沢山いました。しかし、結果的に廃止に賛成する人の数が上回り、死刑制度は廃止となりました。

スポンサーリンク

死刑が執行されても悲しみは永遠に残る

死刑が執行されても、犯してしまった犯罪がなかったことになることはありませんし、死んだ人が生き返ることもありません。

被害者の親族はただただ悲しみ、やり場のない怒りだけを背負って生きていかなければなりません。では、悲しみや、やり場のない怒りが死刑が執行されることで、なくなるのでしょうか?

あー、あいつがやっと死んで気持ちが整理できた。すっきりした。という人が果たしているのでしょうか。私がもし、親族であれば、悲しみも怒りもきえないです。

よく死刑を反対すると、「じゃあお前は自分の身内や子供が殺されても死刑を反対できるのか?」という意見がでてきます。

確かにそういった意見が出てくる気持ちはわかります。

仮に、自分の子供が殺されてしまうようなことがあれば、その加害者を許すことは100%ありえないです。そして、生きる意味をなくすと思いますし死ぬ間際まで守ってやれなかった悲しみを抱えて死ぬと思います。間違いなく、加害者にも同じ思いをさせてやると思うでしょう。

しかし、捕まってしまえばそれすら叶わず、やり場のない怒り、悲しみを抱えながら何十年も後悔をしながら生きていかなければならないのです。じゃあ、その加害者が死刑をされれば、自分の気持ちは満たされるのかといったら、満たされることもないと思います。起きた事実は消えいし、子供の命が戻ってくることはないのです。

では数十年の刑で釈放すべきと言いたいのか?といったら、もちろんそうではありません。もし数十年の懲役を終えてでてくのであれば、私はその時までひたすら復讐を考えて生きるでしょう。無期懲役は最低限であり、無期懲役で一生をかけて、自分の命全てをかけて償えと思います。

川上陽子法務大臣は神なのか死神なのか?

7人の死刑を許可をした川上陽子法務大臣は、今後このことについて後悔するかもしれません。

国家権力で認められていることではありますが、人を殺すことを許可したという事実は残り続けるからです。通常の人間なら、生涯のトラウマとなる場合もあります。

法務大臣の立場であるなら、死刑囚の日ごろの様子なども詳しく聞いているでしょう。もし死刑をされた人の中に、当時のことを後悔し、毎日祈っていた人がいたとすれば、本当に死刑を許可してよかったのか?と疑問に思うことがあるでしょう。

もちろん、現時点では、後悔などすることはないと思っているはずですし、記者会見をみても、そういった様子は感じ取れませんでした。その様子はまるで死神のようにも見えました。

もちろん、その逆でよくやったという人も沢山いるかもしれません。

しかし、人間は変わります。何かのきっかけで、変わるのが人間です。今は自分のやったことが正しかったと思っていても、10年、20年後にその考えが変わらないといえるでしょうか?

検討に検討を重ねたと記者会見では言っています。しかし、川上陽子が法務大臣となったのは2017年8月3日です。就任してからすぐに川上陽子本人が検討をはじめていたとしても、1年経過していないのは事実です。もちろん法務省の中ではずっと検討されてきたことですが、最終許可をする川上陽子本人の検討期間が1年未満であることは事実として変わりません。

人の命というものを国家権力で奪うということに対して、一年に満たない検討期間で判断できるのでしょうか。それなら10年かければ検討したことになるのか?と言われても、確かにその通りで、永遠に結論はでないのですから、本人が思うようにするしかないのが現実です。

今後10年たち、自身の命も死に向かってどんどん近づいていく中で、考え方が変わる可能性は十分にあるのではないかと思っています。その時でも、許可をしてよかったといえるならそれでよいかもしれませんが、もし後悔しても、命は二度ともどりません。

どうしようもないですし、その時に泣いて後悔してもどうしようもないです。もしそうなれば、死ぬ間際でそのことを悔やむのではないでしょうか。

そう考えると、このような重い決断を法務大臣一人の決断で決めるのはおかしな気がします。大臣といえど、一人の人間であることに変わりはありません。一生のトラウマを抱えさせることになるかもしれないのです。

スポンサーリンク

死刑を受ける加害者の気持ち

国民には、被害者の気持ちも、死刑を受ける加害者の気持ちも想像することしかできません。しかし、今の日本では被害者のことばかりが主張されます。それは当然なのですが、少し偏りすぎているのも事実です。

死刑を受ける加害者の気持ちも一度は考える必要があるのではないでしょうか。例えば、自分の子供が死刑を受けることになり、死刑が執行されたらどうでしょうか?

死刑は当日朝に本人に通告され、執行場所に連れていかれます。執行場所に行く前には、仏壇や聖書が置いてある部屋にいき、最後に祈る時間をもらえます。そして、目隠しをされ、手錠をはめら、執行部屋に向かいます。そして首に縄をかけられます。足元の床が開いて、そのまま下に落ち、苦しみながら息絶えます。

この間、本人はひたすら後悔をして、涙を流し、頭がおかしくなり、悲痛な叫び声をあげているのではないでしょうか。助けてください。助けて下さい。どれだけ、願っても、叫んでも死刑は容赦なく執行されます。

国家権力で命を奪うことについて、今一度国民全体で話をするべきだと思います。

スポンサーリンク
関連記事と広告