高槻市教育委員会の一定の責任は免れないという言葉が不適切と感じる理由

アリスです。

大阪の地震が直接の原因で、高槻市の小学校のブロック塀が倒壊し、小学生女児が死亡した件で、高槻市教育委員会の方の記者会見がありました。

その記者会見で、「お亡くなりになったという事実が壁の倒壊によってもたらされたということについて、その部分の一定の責任は免れない」という発言をしました。

このことについて、完全な第三者(例えば専門家)がそのような発言をするのであれば、適切な表現だと思いましたが、学校の運営を行っている当事者である教育委員会のメンバーが、この発言をしたことにとても違和感を感じました。

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違和感を感じた「免れる」という言葉

言葉というものは言霊で、自分の心奥深くに思っていることがついでるものです。この発言をした方には悪気はなかったとしても、深層の意識下(潜在意識)では自身は関係ないと思っているのではないでしょうか。

こんな壁があった事すら知らない人が記者会見すれば、当然そうなっても仕方ありません。しかし、そこはもっと気を使った表現をすべきだと思います。

小さな子供が亡くなっているのです。本当に自分の子供が亡くなったと想像して、記者会見に望んでいれば、免れるなんという表現はでてこないはずです。

責任を免れることはできないという言葉からは、本当は責任を逃れたい、施工した業者のせいにしたい、施工後の担当者のせいにしたいというイメージしかわいてきませんでした。

責任を免れることはできないといいつつも、「一定の」という言葉をつけていることからも明らかではないでしょうか。

ではどう発言するのが適切だったのでしょうか。何も難しいことはありません。普通に「我々に運営側に責任があると思っています。原因については追及し発表します。」

わざわざ、責任は免れないなんて回りくどい言い方をしなくても、この一言でよかったのではないかと思います。

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結局は責任のなすりあいなのか?

私は、高槻市立寿栄小学、高槻市役所、高槻市教育委員会、施工業者と、立場の違う者同士の間での責任のなすりあいになっているのではないかと容易に想像できます。

口ではうまくいっても、結局はみんな相手のせいにしたいのが本音でないですか。少なくとも高槻市教育委員会の言葉からは私はそのように感じています。

責任の所在をはっきりとさせないといけないというのは、確かに重要なことではあります。今回の事故に至った経緯をはっきりとまとめなければならないです。

一方で、このような悲しい事故が二度と起きないように、早急に同様の問題が全国にないかを調査すべきです。実際に同様のブロック塀はあちこちで見つかっており、すぐに対策しなければならない状態となっています。下記が、今回小学生女児が亡くなった場所とは違うところのブロック塀です。

亡くなった命は二度と戻りません。そして同様の事故を二度と起こしてはいけません。

地震はいつあるかわからないので、すぐに対応すべきです。写真のようにロープや危険の札を張るのはいいですが、さっさと工事を始めなければならないです。

通常の手順通り進めていれば、工事が開始するまでにあと1~2か月はかかるのではないでしょうか。稟議書を書いて回している場合ではないです。特例で全て省き、最低限必要なことをすべきだとおもいます。

今回小学生女児が下敷きになったブロック塀は3.5mありました。建築法では高さ2.2mまでとなっており、高さ3.5mの壁は明らかな建築法違反ということになっています。

写真のブロック塀も明らかに2.2m以上ありますね。一刻も早く対策してほしいと思っています。

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